「拝啓、名前も知らぬあなたへ」ーーー。

水曜日の出来事を手紙にしたためて投函すると、
やがて、見知らぬ人からの手紙が届く。
不思議で温かな魅力をもった『赤崎水曜日郵便局』がきょう閉局する。

素敵なこのプロジェクトは、熊本県の水に浮かぶ小学校として知られながらも
廃校となった「赤崎小学校」の校舎で立ち上げられた。
スタッフは全国から送られてくる個人の水曜日に起きたことを記した
手紙を無作為に交換して再び送り返す。
手紙の内容は、とくべつではない一週間の真ん中の水曜日の出来事。
日常の風景や、心情を綴った手紙は3年間で6000通を超えた。
仕事のことや夫婦のこと、中には小学生からの手紙も舞い込み、
煩雑な日常の中で、一通の便りに心なごませたファンも多い。

高名な専門家の指南書や、マニュアルではなく、
名前も知らない人のささやかな日常を垣間見ることで
悩んでいたこころに一条の光が差し込むこともある。
むしろ、肩書きや立場を脱ぎ捨て、誰に語るでもなくささやいた文章のほうが、
素直に人の胸にしみこんでくるのかもしれない。

そういえば、取材という手法を通じて、よく似た経験をしたことがある。
取材相手を中心に、その家族一人ひとりと会話を重ねていくと、
最後には全員が泣いてしまう。
「お母さんは、あの時そんな思いをしていたんだ」
「お父さんは、そんなことをしてくれてたんだ」
「おまえは、そんなことをかんがえていたのだね」
これらは、取材者が”聞く”から答えるのであって、
ふだんは、自分の思いをすべて話すわけではない。
『家族なのだから当たり前』という、善意の行動に言葉はいらないかのように。

でも、取材者が尋ね、答えるうちに、行動が言葉にかわる。
そして初めて互いの思いやりの心を知る。だから、泣けてしまう。
取材の帰り、ぼくも含めた全員が、泣きはらしたあとの笑顔で「さよなら」。
いつもの場面だ。ぼくの大好きな瞬間だ。

専門学校や中学校の出前授業で、だからぼくは、日常の取材の大切さを
訴え続けてきたし、今後も頑張っていたい。

手紙に綴られた文章。対話から生まれた言葉。
ささやかな暮らしの中にひそむ愛情に、きょうは耳を傾けたい。
        
     3月31日 『赤崎水曜日郵便局』閉局の日に寄せて