広島県の中学3年生の男子生徒が、誤った万引き記録によって志望校へ推薦できない
と伝えられ、三者面談の日に自殺した。あまりにも痛ましいできごとだ。
昨日の朝、詳しく報じた番組を見ながら、学校側に対する腹立たしさを超えて
涙が出てきた。

こういう問題や事件があると、ぼくは、カトレア作業所で起きた一つの出来事を
思い出す。

ある日、利用者Aさんの母親から電話があった。休みの日にAさんが一人で
外出した際に、ある施設内で迷惑行為を行い、警察に連れて行かれ、調書まで書かされた。
という内容だった。
ぼくは、電話を切るなり隣の市にあるその警察まで走った。
Aさんの障害を知るぼくは、Aさんが犯罪行為を犯す人ではないことを知っている。
障害のある人の多くは、その行動によって、誤解されがちだ。
ずっとその場で立ち続ける、人についていく、急に近づいてしゃべり出す、寝そべる、
大声を出すなど様々だ。
ぼくは、車を走らせながら考えた。もしも、Aさんがこのまま拘束される
ようなことになれば、障害のある人の多くが、その行動を理解されないまま、
犯罪者となる場合があるかもしれない。それは間違ってる。絶対に。

警察署についてぼくは、担当の警察官に会うことができた。
「Aさんの誤解を解きに来ました」というぼくに担当官は、
「では調書を確認してくれますか」とパソコンの前まで案内してくれた。
そこに書かれてあったのは、どうみても犯罪記録であった。
ぼくは、障害のあるひとの行動や、Aさんとの日常を話し、
決して犯罪や快楽を求めてのものではないと説明をした。
そして、ふたりで細かく被害の状況を分析していくと、
一般にいわれる犯罪行為とは全く違った事実が浮き彫りになった。
担当官は「たしかに犯罪にはならないですね。そういう障害があるのですね。
もっと、聞かせてください」と、真摯な態度で耳を傾けてくれた。

そして「じゃあ、これは違うなぁ」と言って、新たな調書を作成してくれた。
それは、どこからみても、犯罪のにおいがしない文章だった。

大それた会議を開き、制度を見直し、体系を作る。という順番もあろう。
しかし、ぼくは警察での出来事があって、ふと思った。
一人の人のために、一人の理解者を作ることから始めてもいいのではないか。
やがてその理解者が組織に変革をもたらしてくれるかもしれない。
果たしてそれは、甘ったれた考えなのだろうか。

いずれにしても、学校に通う子供たちの自殺や犯罪は、もう絶対食い止めなければならない。
従来の方針をぶち壊してでも、今必要となる勇気ある改革が求められている。
大人の責任は重い。