前回、大江健三郎さんの『恢復(かいふく)する家族』という本に触れた。
実は、その中に我が町、堺市が登場している。
『障害者の十年』というエッセイにこうある。

『・・昨年もおしつまってからの、堺市での講演は、後者の幸いな例だった。
夏の初めだったと思う、一度電話があり、そしてこちらの応答にそくして
障害福祉課福祉係のMさんから手紙をいただいた。その文章に、障害者を
家庭に持つ人間として、共鳴したのである。』

ここからMさんの手紙が紹介され、大江さんはその問いかけに対して
思いを展開していく。
Mさんの手紙は、障害者をもつ人たちとの共生に意識を向けた時、自分たちこそ
硬直した偏狭な人間観をもっていたのではないか。それを障害のある人たちの存在に
よって逆に照射されたように思う。ということが書かれてあり、最後に、
『障害者を閉めだす社会は弱くて脆い社会と言われてきましたが「障害者の十年」の
終わりにあたって、何故弱くてもろいのか、この意味をもう一度考えてみたい』
と締められている。

真摯に障害者と向き合う姿勢を示した一通の手紙が、
ノーベル賞作家ではなく、人間大江健三郎を動かしたのだと思う。

きのう、ある保育施設の一億円にのぼる不正がニュースに取り上げられた。
こういった事件のたびにメディアは行政の管理の甘さを指摘する。
もちろん、問題となるべく下地が行政側にあるのは事実かもしれない。
また、公務員や議員の不祥事が相次いでいるのも承知の通りだ。

けれど、悪事を暴くことだけがジャーナリズムの本義ではない。
ペンを握る者にも道はいくつもあるはずだ。
ぼくは障害者や施設に、寄り添うように応援を送ってくれる
市の担当者に幾人も出会ってきた。
福祉の未来を明るくするためには、希望の種を見つけ発掘することも
ジャーナリズムの使命であるのではないか。
小規模の施設運営は、たいそうしんどいけれど、
本に描かれた大江さんと堺市職員との姿を、なんとか受け継いでいきたい。